バックパックに28箱のカロリーメイトと大量のペンを詰めて旅に出た34才のIさんと出会ってしまった僕は、彼と一緒に40度近い灼熱の中「ジャマー・マスジット」というイスラム教寺院を見た帰り、夕飯を食べようと庶民的な定食屋に入りました。
僕が「ターリー」というカレー定食を食べる一方、Iさんは早速カロリーメイトで栄養補給。
「これを食べてると、僕はインドに来ている気がしないよ」
「じゃあインドのものも食べればいいじゃないですか」
「いや、できれば紙オムツのお世話にはなりたくないからね」
「インドの水は怖いですもんね!」
インドの普通の人が食べる「ターリー」のようなご飯は、熱を通したといっても生水を使っているはず。
紙オムツを持参するほどお腹を壊すのを恐れるIさんが、
インドの生水を恐れるのは、無理のない話。
僕も火を通していない生水は怖いので、
歯磨きをするときにはミネラルウォーターを使っていました。
しかし宿に戻って歯磨きをしているIさんを見ると
思いっきりインドの水道水でうがいをしています。
「え!!生水でうがいは危ないですよ!」
「いや、飲み込まなければ大丈夫かと思ってさ」
「そんな無茶な」
余計な荷物ばっかり持ってきているIさん。
何やらまた大きな袋をバックパックから取り出しています。
今度はいったい何だろう。
「その袋…何が入ってるんですか?」
「これ?粉末のポカリスエットだよ!もしお腹を壊して固形のものを食べられなくなったときに飲もうかと思ってね」
「でも水道水でうがいしてましたよね」
「いや、飲み込まなければ大丈夫かと思ってさ」
「そんな無茶な」
さらになんだか大きな棒状のものがバックパックから出てきました。
「それはなんですか?釣竿?」
「これは折り畳みの三脚さ。タージ・マハルを背景にして記念写真を撮りたくて買ったんだ!」
おお!やっとまともな荷物が出てきましたか。
そういえばIさん、カメラも随分立派なデジタル一眼レフを持ってきています。
そんなわけで次の日デリーを離れ、
タージ・マハルのある「アグラ」という街に列車で向かいました。
所要時間3時間半。車内はうだるような暑さで、座っているだけなのにどんどん体力を消耗します。
やっとのことでアグラ駅に着くと、沢山のインド人が
「タクシー?」
「リキシャ?」
「ホテル?」
などと言いながら、わらわらと群がってきます。
色んな人のインド旅行記を読むにつけ、
「ホテル名を告げたら運転手がよく知っていると言うのでタクシーに乗ったが、本当はそのホテルを知らないらしく変なホテルをたらい回しにされた」
というような記述をよく見かけます。が、それを防ぐのは簡単。
ありもしないホテルの名前を言えばいいんです。
「ウィッチ・ホテル・ユー・ウォントゥー・ゴー??」
「オニギリ・ホテル!」
「オーーー!!
オニギリ・オーナー、マイベストフレンド!オニギリーー!」
そういう適当なことを言う人についていかなければいいだけなのです。名づけて「オニギリ大作戦」。
「オニギリ大作戦」によって目当ての宿にたどり着いたときには、
うだるような暑さで僕らはすっかり疲労困憊。
「タージ・マハルに行くのは明日にして今日はゆっくり過ごそう」と思っていました。
が、宿のフロント係の青年が僕らの部屋までやって来て
「今日タージ・マハルに行かないと駄目だ。今日は無料だ」
とまくし立てる。
そんなまさか。そんなことがあるもんか。
だってタージ・マハルはインド人なら200円で入れるのに、
外国人は2000円以上の入場料をとられるのです。
それを、たまたまやってきた僕らが丁度よく無料で入れるだなんてありえない。
しかし会う人会う人
「今日タージ・マハルに行け」
「今日は無料だ!」と僕らに言う。
もしや、ホントに無料なんだろうか。
疲れを推して行ってみると

果たして本当に

無料で入場できました。
周りの人の話では、どうやらこの日はタージ・マハルに遺骨が納められている王様の命日だから無料開放しているとのこと。
確かに僕が王様だったらこんな風に

皆で歌いながら

お墓参りしてもらえたら嬉しいです。
ただ、無料と聞いてインドの人たちが飛び付かない筈はなく

ものすごい人の数。

子供たちは早くも飽きてます。

まっすぐ先に見えるのは

世界遺産タージ・マハル。
しかし僕はいざタージ・マハルを目の前にしても、
何だかあまりピンと来なく
「なんだ、こんなもんか」と淡々と眺めていました。

だけど人混みを通り抜け

やっとの思いで

タージ・マハルの真下に辿り着き

靴を脱ぎ素足でタージ・マハルの大理石に一歩触れたとき、ひやりとした冷たさとともにタージ・マハルのえもいわれぬ美しさに気づいたのでした。
こればかりは、写真ではわからない美しさなんじゃないかと思います。
それから何よりお祭りの楽しさに加えてこの日タージ・マハルに行けて良かったと思ったのは、「普通に暮らすインドの人」に会えたこと。
インドへ行った人の旅行記に、
「インド人は皆ウソつきで金を騙しとろうとする抜け目なさがある。親切にするからついていったら、最後は酷い目にあった。」
なーんてことをまことしやかに書いてあるのを見かけますが、僕はかなりこれに懐疑的でした。
観光で生計を立てている人には確かにそういう人も多いですが、インドの人が「皆」そんなはずはないと。
というのも、これを日本に置き換えて考えて
例えば新宿の歌舞伎町なんかで進んで見ず知らずの外国人に
「どこか案内するよ」って話しかけている一部の日本人を見て
「日本人は皆親切そうに近づいてきて騙す」と言っているようなものだと思うのです。
さてタージ・マハルで出会った人たちは

無邪気な男の子や

精悍な青年

それから元気な女の子たち。
日本の人と何ら変わらないなーと思いました。
旅行記なんかは面白おかしく書いてナンボなんでしょうが、インドのそんな側面ばかり語られるのは、何かおかしいなーと感じます。

彼もいつか立派な大人になるんでしょうね。

ホテルの屋上にある食堂からは、タージ・マハルが見えました。
折り畳み脚立を日本から持参していたIさんは、ここにきて俄然張り切って脚立を立て、デジタル一眼レフをセット。
タージ・マハルを背景に記念写真を撮る気まんまんです。
「さあ撮るよ!」
とカメラから手を離すと、三脚が変な動きを見せました。
「Iさん!三脚縮んでますよ!」
「あれ〜!!」
折り畳み三脚がデジタル一眼レフの重さに耐えきれなかったようです。
「折角持ってきたのに…」
つくづく憎めない人!
そして明くる日、インド西部ラジャスターン地方に行くというIさんと別れ、僕はひとりガンジス河が流れる聖地、バラナシへと向かう夜行列車へと乗り込んだのでした。
【インド・ネパールB】へ続く